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トリンプ・インターナショナルの歴史

トリンプを最も魅力的にアピールしてくれたのは、昔から女性たち自身でした。后妃その人からナオミ・キャンベルまで。

歴史 tailored by Triumph


1886年
コルセット製造職人ヨハン・ゴットフリート・シュピースホーファーと商人ミヒャエル・ブラウンが、コルセット製造所「シュピースホーファー&ブラウン」を設立しました。納屋に据えられた6台のミシンと6人の従業員で、コルセット製造が始まったのです。場所はヴュルテンベルクのホイバッハ。ドイツ・コルセット業界の最盛期にあって、会社は急速に拡大します。1890年には早くも従業員は150名となりました。1894年、外国と初の納品契約を締結し、同社はイギリスへと販路を広げたのです。

ベル・エポック―めざすは后妃様
コルセットの王道。シュピースホーファー&ブラウン社は、フランスの最新モード・トレンド「Sans Ventre」を取り入れました。S型シルエットを損なう要素をことごとく排除したのです。こうして新しいコルセット・シリーズがデザインされ製造されました。バストとヒップを強調し、ウェストと腰まわりはきりりと引き締めるコルセット―ドイツ帝国における美の理想型。

1902年
シュピースホーファーとブラウンは、世界中どこでも、ひとめで認識してもらえる印象的な商標の必要性を感じました。パリの凱旋門を目にしたとき、ヨハン・ゴットフリート・シュピースホーファーにアイディアがひらめいたのです。勝利=「Triumph」が商標となりました。同社は新たな外国市場を次々と開拓し、急速にヨーロッパの主導的アンダーウェア・メーカーに成長します。

「黄金の20年代」―シックで上品
「黄金の20年代」になると、帝国時代の服飾伝統はするりと脱ぎ捨てられました。モードの根本的な変化は、コルセット業界にとって深刻な危機であると同時に大きなチャンスともなりました。軽いコルセットが現代的とされ、ブラジャーのサクセスストーリーがここに始まります。トリンプ社が開発するブラジャーはより一層繊細なものになり、製品の縫い目はますます少なくて済むようになります。これによりモードは、よりリーズナブルな価格で、よりナチュラルなものになりました。

1933年
国際的事業拡大のための基盤は固まりました。スイスのバート・ツルツァッハに初の在外支社を設立。これを出発点として、44年後には世界にまたがる持株会社トリンプ・インターナショナルが生まれることになります。30年代にトリンプ社はヨーロッパ最大のコルセット・メーカーとなり、オリンピック開催の1936年には創立50周年を誇らかに祝いました。

スタイリッシュ・エレガンス―フォルムと伝統への回帰
ショートヘアとボーイッシュなスタイルにさようなら。1929年の世界恐慌を経て、人々は安定と秩序を求めるようになります。時代精神に変化が生じ、シルエットは極端にほっそりしました。「上品なシック」に代わって「スタイリッシュなエレガンス」が台頭。トリンプは30年代末、初めて肩ヒモのないコルセットであるコースレット〔オールインワン〕を発売。さらにフロントホックと調節可能な肩ヒモを備えたブラジャーで革新をもたらしました。

1948年
通貨改革後の新たな出発。生産を再開し、成長路線に乗った会社は、ダイナミックな発展を遂げ、1953年には商号を「トリンプ・インターナショナル」とします。1954~1959年にはベルギー、イギリス、スウェーデン、イタリア、フィンランド、ノルウェー、デンマーク、オーストリア、オランダに支社を設立して、ヨーロッパでの足場を強化しました。

奇跡的経済復興―新たな繁栄を祝う
第二次世界大戦と窮乏の戦後期が過ぎ去ると、人々は再び外見を重視するようになります。フランスの若いファッションデザイナーが「ニュールック」を生み出し、その殊更にフェミニンなフォルムが、時代のスタイルを決定しました。50年代のスターたちは、後に伝説となるほどの「くびれ」でもてはやされ、また何よりバスト崇拝の的となったのです。ブーム再燃に沸くコルセット業界では、トリンプがペースメーカーの役割を引き受け、市場トップ企業となりました。「Diana」は初の販売価格指定ブラジャーとし、どこで買っても同一の品質が保証されました。会社は時代変化の先を読み、国際化だけでなく、技術革新にも力を注ぎます。トリンプは1954年、ブラジャーの肩ヒモにストレッチ糸を採用します。この肩ヒモは、挟まれる感覚も圧迫も引っ張り感もなく、しなやかな支えを提供します。1956年、ドイツの著名なモード・クリエイター、ハインツ・エスターガートとの長年にわたる協力関係が始まります。このベルリン生まれのモード・クリエイターは、「モードは繊維に始まり、エレガンスは下着に始まる」という自分の信条に忠実に、下着のまったく新しいプレゼンテーションを求めました。トリンプは大掛かりな下着ファッションショーを開始します。モデルが下着の下にトリコットを着用せず、素肌に下着をつけただけで舞台に並ぶのは初めてでした。「下着にもっと流行を」―これが1957年、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われた初のトリンプショーのメッセージでした。1958年には次のショーがカイロの国際木綿見本市で、さらに1959年にはベルリンの「ヒルトン」で過去最大の下着ファッションショーが開催されました。16カ国から集まった200名のジャーナリストの前で、プレゼンテーションが行われました。


1960年
トリンプ・インターナショナルはアジア地域にも事業拡張し、1960年に香港支社設立、その後10年間でマレーシア、シンガポール、台湾、タイ、フィリピン、インドネシア、中国、スリランカ、ヴェトナム、インドに支社を開きます。60年代半ばには、早くも日本における3大メーカーの一角を担うようになりました。
ヨーロッパでも新たにスペイン、ギリシア、フランス、ポルトガルに支社を設立。1965年には、トリンプ・インターナショナルは92カ国で自社製品を販売していました。

スウィングする60年代―革命的な展開
1959年、ライクラ(Lycra)という商標名で初のエラスタン繊維が発売され、下着モードに革命をもたらしました。エラスタンからは、これまでよりはるかに繊細で軽い素材が作られます。しかも手入れがしやすく、着心地も向上。実に多種多様なエラスタン素材が生まれました。60年代末には、ヨーロッパとアメリカの下着はすべてエラスタンとの混紡繊維で作られていたといっても過言ではありません。1966年、トリンプは「Doreen」シリーズを発表。ポリアミドと15%のエラスタンで製造されたこのシリーズは、すぐにベストセラーとなり、かつ長年にわたりベストセラーであり続けます。1967年、トリンプはアンダーウェア・メーカーとしては初めて、シームレスカップのための成形方式を導入。この新方式は、将来の下着製造の方向を示す画期的な出来事となりました。これにより、従来よりはるかに着心地がよくて軽く、縫い目のないブラジャーが可能となりました。このほかトリンプはレジャーウェアの流行にも目をつけ、1962年にビキニとワンピース水着の生産を開始。さらに広告でも新たな道を進みます。商標、スローガン、そして感情に訴えるコピーは、自意識の高い女性たちに向けられました。トリンプ・ドイツの広告では、活動的な女性が「自信を持とう、必ず気に入る」をモットーに時代をリードしました。

1977年
スイスのバート・ツルツァッハに置いた会社が、「トリンプ・インターナショナル・シュピースホーファー&ブラウン合資会社」コンツェルンの唯一の上位会社になります。企業の国際化は継続的に進められました。ウィーン・ノイシュタット(オーストリア)の生産拠点ならびにホイバッハと香港の工場は、ハイテク服飾企業としてのトリンプの名声を確固たるものとしました。これらの拠点は、世界中の繊維技術者と服飾エキスパートのための情報センターになります。企業は全大陸で戦略的足場を固めます。1972年にはブラジル市場に参入、オーストラリアでは「House of Jenyns」を買収、南アフリカではライセンス生産を開始。中国、タイ、フィリピンには子会社が設立され、インドネシアではライセンス販売が始まりました。

ワイルドな70年代―新しい軽さ
トリンプは過去最大規模のファッションショーをもって、70年代の始まりを告げる鐘を鳴らしました。それは25,000 kmに及ぶセンセーショナルなモード・ツアーでした。魅力あふれる「トリンプ70ショー」は、モデルたちを引き連れてヨーロッパとアジアを回ります。モードは、すでに60年代に兆しの見えていた新しいトレンドを追い、社会の変化がフラワーパワー〔1960年代後半から1970年代前半にかけてヒッピーが唱えた平和と愛のスローガン〕とミニスカートをもたらしました。ガードルやペチコートの需要低下のみならず、機能を主とするブラジャーすら人気を失いました。女性下着産業は販売数・売上額ともに落ち込みを甘受しなければなりませんでした。ここに来て、成形方式に対するトリンプ・インターナショナルの投資が生きることになったのです。同社は既製服メーカーとしては初めて、ライクラとナイロンのごく薄く軽い素材を加工、高周波技術で分子どうしを融合させることにより、糸も針も使わずに縫合を可能にしました。極薄のシームレス・モデル「Einer fuer Alle」により、トリンプは、目立たないのに容易にバストの形を整え、試着しなくても多くの女性にぴったり合うブラジャーの製造に成功しました。試着せずに購入―これは当時、特に歓迎された新しい点でした。この成功がトリンプの正しさを証明しました。ヨーロッパの多くの国で愛されたこのベストセラーは、1998年まで製品ラインナップに名を連ね、2004年には新たな素材コンセプトで復活します。トリンプ・インターナショナルの歴史のもうひとつのクライマックスが、70年代末の「sloggi」ブランド導入です。「木綿革命」のスローガンのもと導入されたショーツは、素材技術革新のお陰で特に柔らかく伸縮性に富み、シワになりません。折り畳みボックスに梱包され、sloggiは現在までに世界中で販売数10億点以上を数える国際的ベストセラーに成長しました。イギリス人はsloggiについて「手袋みたいにフィットする」と言い、フランス人はこのショーツを「型崩れしないもの」と呼びます。洗濯しても、sloggiは常に安定した形状と伸縮性を保つからです。「若者」と「性の解放」は、広告においても70年代の重要なテーマでした。市場トップのトリンプは、連帯感をアピールし、美と官能が真実味をもって演出されました。ドイツでは「だから何?―ボディはモード」のスローガンで、シースルー・ブラジャーの広告が行われました。トリンプは魅力的な下着による体験、楽しみ、冒険心を約束します。


1986年
トリンプ・インターナショナルは創立100周年を祝いました。この記念の年、トリンプグループは世界中で19,000名の従業員を擁し、総売り上げ996百万スイスフランを計上しました。

企業の拡大路線は止まりません。トリンプ・インターナショナルは1985年、中華人民共和国での販売を開始し、またフランスの高級紳士下着ブランドHOMを買収しました。1988年にはウルグアイとのライセンス契約締結、当時の東ドイツ内でも下着と水着のライセンス生産をスタートしました。翌年にはさらに3つの重要な市場―カナダ、ニュージーランド、韓国―で販売会社の建設が始まります。

ウエストの復活―ビスチェ・ボディス崇拝
すでに70年代はじめ、トリンプは業界で初めて、スポーツ好きの女性たちのためのシリーズを発売しました。そこから得た経験は、1983年に世界的にエアロビクスが流行し始めたとき、トリンプ社に利益をもたらしました。スポーツをする女性たちが特別なブラジャーを必要とするのは明らかで、トリンプはそれに応じたシリーズを提供しました。安定した支えと高い着け心地の良さを兼ね備えたシリーズです。

時代精神を捉えるのは容易ではありません。どんなトレンドにも、それに対抗するトレンドがあります。絶対的な流行というものはなくなり、現代女性は自分の多面性を謳歌していきます―服装についても。着心地が良く気楽なsloggiで日常を過ごしやすく、誘惑的な下着でロマンチックな時間をより甘く、そしてスポーツ・ブラでリラックスしたジョギングを。デザイナーたちは気品ある下着を、あるとき突然、最先端のアウターに転換します。それはボディスーツやビスチェとして意識的にブレザーの下に着られるようになりました。80年代は婦人用インナーの時代であり、完璧な美という夢が広告の世界にも影響を及ぼします。女性消費者たちの要求は高まります。贅沢な仕立てのボディスーツ、コルサージュ、トップス、ブラジャー、ショーツが再び盛んに求められますが、トリンプはすべての夢をかなえるすべを知っています。

1990年
1990年、フランスの高級婦人下着ブランドVALISERE買収により、トリンプ・インターナショナルはトップクオリティ部門にも業務拡大します。90年代は、何より東欧およびアジア市場への継続的拡張の10年となりました。タイ、中華人民共和国、インドに新たな生産拠点が生まれます。ワルシャワには1999年、トリンプショップがオープンしました。90年代にコンツェルン従業員は11,000名増えて、35,500名となりました。

「快適さ」の10年―ナチュラルなものへの憧れ
80年代の騒々しさと興奮は鳴りをひそめ始めます。90年代は控えめな表現が特徴となります。けたたましい時代を経て、消費者は再びナチュラルなものを求めます。さまざまな素材についても。

トリンプはすでに70年代から、余計な化学物質を製品から排除してきました。いまや高品質かつエコロジーにそった木綿だけでなく、ニッケルを含有しないフックと受け金も導入しました。90年代はまた、コントラストの10年でもあります。婦人服から肩パットが消える一方、プッシュアップ・ブラが大人気となります。ドイツではトップモデルのナオミ・キャンベルが、縦3mもの広告ポスターから、誇らしげに、そして官能的に、こちらを見下ろします。「ボディのために―官能のために」がメッセージです。これによりトリンプ・インターナショナルは、時代の好みを予言しました。ドイツにおけるこのキャンペーンにより、プッシュアップ・ブラの売上額は6倍となります。トリンプの技術革新力は、1998年の世界的新商品「Simply Soft」にもあらわれました。このシームレス・ブラジャーの素材は、着ける人の体温によってその体型に適合します。


2002年
長い伝統は、成長のための堅固な基盤です。「トリンプ」の商標は100年前に登録されました。企業は新ミレニアムにも成長を続け、革新的な販売方法に注力します。消費者に官能的な購入体験を提供すべく、ヨーロッパの首都や大都市に新たなトリンプショップがオープンし、ブランドのショーウィンドーの役割を果たします。
アジア地域では特にインドへの取り組みが強化され、ムンバイ、チェンナイ、デリー、バンガロールに販売拠点が設立されました。2003年にはハイデラバードとカルカッタの販売拠点が続き、東欧では2001年、ハンガリーのドゥナウーィヴァーロシュ(Dunaujvaros)で最新鋭のトリンプ工場が竣工しました。

熱望されて―新ミレニアム
「ドリーム・オン・ステージ」―最上級のトリンプ・ファッションショーが、2001年に中国30都市で200回開催されました。新ミレニアムの幕があき、トリンプは再びたくさんの革新的製品を提供します。例えば「Ladyform」。その最初のバリエーションはすでに1998年に発表されていたものです。このミニマイザー・ブラジャーは、胸が大きすぎると悩む女性が増えていることに応えたものです。このブラジャーは、カップのサイズを1ランク小さく見せる上、着け心地も抜群、需要は大きく、10年も経たないうちにミニマイザー・ブラジャー7モデルと、同様の機能を持つコースレット〔オールインワン〕1モデルがそろいました。2001年に発表された「Soft Secret」もすぐにベストセラーに。透けないマイクロファイバーと目に見えないワイヤーからなるこの成形ブラジャーは、完璧になめらかで伸縮性に富みます。そのため、体にぴったり合ったアウターの下に着けてもパーフェクト。2005年には、その妹モデルで快適さを高めた「Soft Sensation」が発売されました。これは2003年の「Form & Beauty」で採用された望遠鏡のようなワイヤーにより、最高度の動きやすさを保証します。

2008年
現代的な新しいトリンプ・ロゴを目玉として、トリンプはコーポレートデザイン全体を一新し、消費者にもっとダイレクトにアピールします。消費者の需要と希望こそ、企業活動全体の中心となります。技術革新、そして全製品の卓越した品質とフィット性の維持のための継続的な投資と平行して、消費者とのコミュニケーションにも力を入れていきます。例えば現在進行中のトリンプ広告キャンペーンでは、スウェーデンの写真家ペーター・ゲールケにより、日常のさまざまな情景の中で女性が自信を持ち、かつ自然に生きる姿がとらえられています。
トリンプの作品を創るインスピレーションは、自社の中からのみ生まれるものではありません。才能ある有望な若手にファッション業界で活躍するチャンスを与えるため、「トリンプ・インスピレーション・アワード」が創設されました。世界中の才能ある若手デザイナーを表彰し、そうして企業とクリエイティブな若い消費者との間の創造的対話を確保します。
そして何といってもトリンプ・ブランドへの親近感は、トリンプショップを通じて培われます。ショップは製品のショーウィンドーの役割を果たすだけでなく、何よりお客様との個人的コンタクトを促進する場なのです。

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